19『償わなければならないのは』



 罪無き者達よ、罪負いし者達を罵るのは止めなさい。
 あの者達を裁くのは、お前達ではない。

 罪無き者達よ、罪負いし者達に償いを求めるのは止めなさい。
 本当にその償いを行えば、お前達はあの者達を許せるのか。

 胸に手を当てて考えよ。
 罪人を責め立て、本当にお前達は救われるのか。
 お前達は本当にあの者達が罪人に見えるのか。

 本当に償いをしなければならないのは、どちらなのか。



 夕食時になり、人で込み合う住居・宿泊施設棟の食堂の一角にリク達一行の姿はあった。一同の視線はある一人の男に注がれている。

「……おいリク」

 カーエスが声を掛けるが彼は返事をよこさない。
 全員の視線が集まる中、その男・リク=エールの身体がグラリと傾き、机の上に、正確に言うと、机の上に乗っていたスープの皿の中に頭が落ちた。

「ぶはっ!」と、熱いスープの中に頭を突っ込んでしまったリクが慌てて顔を上げる。

 その時点で、自分に集まる全員の視線に気付き、彼等を見回した。
 状況が掴めていないリクに、一同を代表してカーエスが言った。

「寝るんやったら部屋で寝たら?」
「あ……、俺寝てたのか? 今」
「寝てたのかて……」と、その間の抜けた反応に、カーエスが呆れたようにため息をつく。

「はは、結構疲れてんだなぁ、俺」と、ようやく目の覚めてきたリクが苦笑する。
「あまり無理はしないで下さいね」

 ジェシカが、心配そうに言うと、リクは顔に着いたスープを拭き取りながら答える。

「このぐらいなんでもないさ。ファトルエルん時に比べればな」

 ファトルエルの大会の最終日、リクはジルヴァルトという強敵と闘い、さらにグランクリーチャーを相手にしたのである。
 グランクリーチャーを倒した時、リクは本当に力を使い果たし、そのまま気を失ってしまったものだ。

「そういや何でティタさんにシルオグスタ見せたり、グランクリーチャーを倒した事を話したりしないんスか? “非公式だけど世界最強で、歴史上初めてグランクリーチャーを倒した魔導士”ならティタさんも信用してくれるかもしれやせんよ?」
「せやな、面倒事避けるために黙っとるかなんか知らんけど、ティタはんだけには教えたってもええんちゃう?」

 シルオグスタは名高いファトルエルの決闘大会に優勝した魔導士だけに与えられる世界最強の証である。大災厄の発生で大会が中止になり、ジルヴァルトとの闘いは事実上の決勝戦だったが、それは非公式の闘いとされ、記録には載っていない。
 ただ、大会の主催をしているカンファータの国王・ハルイラ=カンファータ十八世は事実上の決勝戦を制し、グランクリーチャーを倒した功績から、非公式のままにではあるが世界最強と認め、シルオグスタをリクに与えた。
 よって、この世界最強の証はリクがまともに大災厄、ひいては“大いなる魔法”と渡り合える一番の証拠と成り得るのだ。

 リクはシルオグスタの収まっている自分の胸のあたりに手をやりながら首を横に振る。

「エスタームトレイルの前までならそれは出来たかも知れねーけど、今は無理だろ。はっきりあの目で俺の実力を見て駄目だって言ったんだ。今さらそんな長ったらしい肩書きに頼っても幻滅されるのがオチだし、何より俺が嫌だ。何が何でも実力で認めさせてやる」
「兄さんらしいスね」

 その時、がたっ、と音がした。一同がその音の発生源に目を向けると、その視線の先ではフィラレスが立ち上がっている。

「どうかしたのか? フィリー」

 フィラレスは、こくりと頷くと、食堂の出口を指差した。
 その仕種で、リクはフィラレスが何を言いたいのかを察する。

「ああ、ミルドのところに行くのか?」

 彼女は頷いて肯定する。

「俺が付いて行ったろか?」

 そのカーエスの提案にはふるふると首を振り、空になった食器のトレイを持ってテーブルを離れ、食堂を出て行った。


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「Dr.ダクレー。考え直しませんか? 今ならまだ引き返せます」

 先ほどダクレーの研究室のソファの上で目をさましたミルドはそう言った。
 ダクレーは机に向かったまま答えた。

「なぜ考え直さなければならんのかね? その理由は?」
「要りますか? 女の子を一人犠牲にする計画を中止するのに、理由が」

 多少、声を大きくしてミルドが即答する。
 ダクレーは大きくため息を付くと、ファイルを閉じてミルドに向き直った。

「いいかね? ミルド君。その少女はただの少女ではない。周囲の人物達にとって危険きわまりない魔力を持った少女なのだ。そして、その魔力を持って周りを傷つけた事に対し、その少女は罪悪感で心の深い傷を負っている。この計画は彼女の心の傷を癒してやる事にもなるんだよ? それでいて周囲の危険も減らす事ができる。このエンペルファータの寿命を確実に二十年以上延ばす事ができる。そして本人はこの計画に」
「まだ承諾していません」

 聞き飽きたダクレーの主張にやや嫌気が差した表情で、ミルドはすかさず口を挟んだ。
 ダクレーは勝ち誇った表情で言う。

「そうだ、まだ承諾していない。だったらまだこの話をするのは早いのではないかね?」
「計画を先に進めるのもまだ早いとは思いませんか?」と、ミルドはダクレーがさっきまで取りかかっていたファイルに目をやって言った。
「承諾した場合を想定して進めているだけだよ。それより……」と、ダクレーは一旦言葉を切り、ファイルを再び開きながら続けた。「君が荷物を纏めるのもまだ早いと思うのだがね?」

 ミルドは自分の目の前に並んでいる自分の荷物を一瞥して答えた。
「……そうですね」

 彼はソファに座ってため息を付いた。
 フィラレスがこの計画に承諾する事を、自分が一番確信している。
 自分と、マーシアしか知らず、記録もされていない事実だが、彼女は一度自殺をはかっている。結果は“滅びの魔力”の暴走。そして自殺自体は今現在、フィラレスが生きている事実からも失敗である事は分かるが、あの時ほど自分を呪った事はない。

 自分は彼女を慰めていたつもりで、その傷に塩を擦り付けていたのだ。

(やはり彼女を説得しに行こう)

 そう決心すると、ミルドは立ち上がってダクレーに言った。

「ダクレー主任。頭痛がするので医務室に行ってきます」
「分かった。あ、すまんがついでに食堂に行って私の食事をもらってきてくれんかね?」
「分かりました」

 ミルドは生返事をしながら、ドアノブを回し、ドアを開く。
 その向こうにいた人物を見て、ミルドは目を丸くした。

「フィ、フィリー……!?」

 その声を聞き付けたダクレーが再びファイルを閉じ、わざわざドアのところまで迎えに来た。その顔は笑みに満たされている。

「やあ、フィラレス君。どうしてここに? ひょっとしてもう答えを持ってきてくれたのかね?」

 フィラレスはこくりと頷いた。
 その答えにミルドが愕然とする。

「まさか! 早すぎる!」
「それで、答えは? 承諾するなら頷き、拒否するなら首を振りたまえ」

 沈黙が場を包んだ。
 ミルドは固唾をのみ、ダクレーは不敵な笑みを崩さない。
 そしてフィラレスは、しばらくダクレーを真直ぐ見つめていたが、やがて決意を込めたようにゆっくりと、首を横に振った。

 今度驚愕したのはダクレーだった。目を見開き、フィラレスを凝視している。
 口が利けなくなったダクレーに代わってミルドが確認をする。

「それはつまり、ダクレー主任の計画への協力を拒否するってことかい?」

 フィラレスはこくりと頷く。
 しばらく驚きに染まった表情でフィラレスを見つめていたダクレーだったが、やがてぶつぶつ小さな声で何かを呟きながら一歩一歩フィラレスに近付いて行く。

「何故だ………何故だ、フィラレス=ルクマ−ス。お前は“滅びの魔力”で人々を傷つけた事を何とも思っていなかったのか……? 償う気持ちは全くないと言うのか!?」

 その呟きは、最後には叫びに代わり、フィラレスに掴み掛かろうとするダクレーを後ろからミルドが羽交い締めにする。

「止しなさい、Dr.ダクレー! フィラレスがそんな気持ちでいるはずがないでしょう? どのみちフィラレスが参加を拒否している限り、この計画は終わりだ」
「それじゃ困る! 困るんだよ、ミルド君! このままじゃ三年後にはエンペルファータは終わってしまう! 説明しただろう!? それにこれはフィラレス君の償いの機会でもある! そう言っただろう!?」

 半ば狂ったようにミルドを怒鳴り付けるダクレーに、ミルドは即答して言った。

「何故そのエンペルファータの存亡とやらをこの子が負わなきゃいけないんですか!? 償いですって? 彼女は何もしていない! 元々、フィリーに罪など何もないんです! それなのに……それなのにこの子は“滅びの魔力”の為に一番苦しんで、傷付いて! 僕らはその心の傷の上にさらに傷を付けていた! 償わなきゃいけないとしたら、それはむしろ僕らの方なんだ!」

 どうして、その説明で自分は納得してしまっていたのだろう。今、このダクレーの説明を聞いて、ミルドはそう思った。
 まだ三年あるし、エンペルファータは滅びても、《テンプファリオ》がこの街を襲うのは二百日の間隔がある。その前に住民を退避させればいい話だ。彼女がいなくてもエンペルファータの住民は確実に生き延びられる。
 それに、ダクレーはフィラレスに償いの機会を与えようとしているという。自分はそれにも納得してしまっていた。ダクレーと一緒になって彼女を罪人扱いしてしまったのだ。彼女には、何の罪もなかったというのに。

 ミルドは、怒鳴り返されて呆然としているダクレーを半ば投げるようにソファに向かって突き放すと、フィラレスに歩み寄り、その華奢な身体をそっと抱き締めた。

「済まなかった。辛い選択をさせたね。でも、よく拒否してくれた。後の事は心配しないで。僕が絶対に君の事を守り切ってみせるから」

 そこまで言って、ミルドはフィラレスの目線に合わせて少し屈み、優しく微笑みかけて言った。

「さ、今日はもう遅い。部屋に帰って休んだ方がいい」

 フィラレスはこくこくと何度か頷き、研究室を後にした。

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